皆さん、こんにちは。
久々のブログ更新です(汗)。
いけばなの形態は時代とともに変化してきましたが、
各時代の建築様式からも影響を受けたことをご存知でしょうか?
いけばなの原型は、
飛鳥時代に仏教が日本に伝来したときに、
仏に花を供える風習「供花(クゲ」)がもたらされたことにあると言われています。
<平安時代/寝殿造り>
平安時代に、「寝殿造り」(≒屋敷)という建築様式が確立します。
嵐山大覚寺、東三条殿、中尊寺金色堂(岩手県平泉/奥州)などが有名です。
寝殿造りは、主人が居住する寝殿という建物を中心に、
東西北に建物(対屋)ごとに部屋を分け(主に家族が居住)、
渡殿(回廊)で結ぶものです。
多くは、南側に庭園を設けます。
それぞれの建物(部屋)は板張りのワンルームといったイメージです。
(必要に応じ、屏風などで分割)
ちなみに、寝殿の北側に妻が住んでいることが多かったことから、
身分の高い人の妻を「北の方」と呼ぶようになったようです。
この頃は、花は室内ではなく、回廊の端の欄干(手すり)に飾っており、
いけばな としての形態は、まだ定まっていませんでした。
<室町時代/書院造り>
いけばなは室町時代に成立したとされます。
室町時代には、「書院造り」が広まります。銀閣寺(慈照寺)の東求堂などが代表です。
書院造りは、寝殿造りの板張りワンルームとは異なり、
複数の部屋が一つの建物につくられるようになります。
部屋には壁が現れ、部屋どうしは廊下で繋がります。
そして、障子やふすまなどで、一部屋がしっかり間仕切りされるように変化し、
接待に使用される客間など、用途に応じた様々な部屋が設けられるようになりました。
部屋の床(ユカ)の素材は、板張りから畳張りへと変化します。
書院造りの特徴は、付書院、違い棚、床の間などにあります。
床の間には、軸と「三具足=花立て / 燭台(ロウソク立て)/ 香炉(線香立て)」が飾られ、
中国製の壺などに挿す花の姿・形が工夫される中で「いけばな」が成立しました。
京都で六角堂の池坊専慶が登場し評判になるのもこの頃です。
この頃のいけばなは「たて花」と言われ、江戸初期までかけて「立華」として大成します。
縦にまっすぐ立てて生け、当時の床の間サイズに合わせ大きなものとなり、
主に、京の貴族中心に流行しました。
立華
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その後、いけばなは江戸中期以降に「生花(セイカ)」として、一気に大衆に広がります。
これも江戸時代の建築様式に深く関わっています。
古流もこの時期から隆盛していきます。
詳しくは、【後編】にて。
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